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おかげさまで、Satellile & 6m DXCC 受賞できました!
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JN1BPMの歩み

 1978年、群馬県太田市にて中学生の頃、当時一大ブームだったBCLから転身し、SWLを始める。JARL準員JA1-26359となる。最初は、BCLラジオ(東芝TRYX-2000)で7MHzを聞いていたが、中古のRJX601を手に入れ、6mの楽しみを知る.当時は週末にはAMの移動局もたくさん聞こえ、6mは「入門バンド」と呼ばれていた。RJX601から聞こえるSSBのモガモガを頭の中で「解析」し、SWLレポートを出すという特殊技能を身につける。

 1980年10月、念願のアマチュア無線局 JN1BPMを、群馬県太田市に開局する。しかし、アルバイトをして購入したRJX610+GPという、当時としても貧弱な設備では、サイクル21の片鱗も味わえず、その上、学校の成績も急降下。当時はマジメな高校生だったので、学業に専念しようとQRTしてしまう。千葉県とも未交信だった。

 一浪の後、大学入学後も、無線から縁遠かったが、1985年秋に同学部のJO1HQQと出会い、見事に洗脳され、同年12月、6mに復活。以後、6mWACAを目標に、毎週末に群馬県内の山や河川敷に移動運用を繰り返す。この頃は、ログ1冊が、一月かからないで終わるほどアクティブだった。

 1988年頃、TNC PK87J+富士通の通信機能付きワープロで、いち早くパケット通信にも挑戦する.パソコンは当時高価で買えなかった。インターネットの電子メールもない時代、パケット通信は時空を超える革命的通信方法であった。大いにハマってしまう。

 1988年9月、岩手県花巻市(JS1USY/7)との交信で6mWACA(全市交信)達成。これで安心して医道に精進するつもりであったが、「WACAっちゃいるのにやめられず」、おりしのサイクル22のコンディション上昇に便乗し、今度は6mDXに熱中してしまう.移動運用の無理がたたったのか、腰椎椎間板ヘルニアで一月入院も経験。

 1989年9月、ARRLの6mVUCC (#368) 受賞。アメリカに虎の子のQSLを送り、チェックを受けねばならず、電子メールもない時代、連絡を取り合うのも本当に苦労した。

 1990年3月、なんとか低空飛行で大学を卒業。大学の卒業記念に、同年4月JD1小笠原父島へ。JN1BPM/JD1を運用。6mにて8カントリーWkd。片道29時間の航海の船酔いはつらかったなぁ。VK2QFから頂いた、オーストラリアでのJN1BPM/JD1入感の様子はこちら

 同4月、赤城山の移動局かと思うぐらい強力に入感したZS8MIとのQSO6mWAC(世界6大陸交信)達成。同6月に幸運にも医師国家試験にパスしてしまったので、研修医として、不埒な心を入れ替え、今度こそ医道に精進しようと誓う。折りしのサイクル22のピークと重なるという不運から、ロングパスで入感した局など数々のDXを逃す。このとき無線ができていたら、DXCCも楽に完成していただろうに・・・研修医は本当に朝から深夜まで毎日忙しく、週末の実家(太田)に帰っての無線が憩いのひととき。

 1991年、独自の調査でまとめた「6m WACA/WAGA Holders' List」を、パケット全国転送系ネット(RLI/MBL系)に月一度upを始める。93年頃まで続けていた。これを発展させたWeb版では、6mの資料に役立つよう最終5市郡もできうる限り調べて掲載するようにした。記録的アーカイブはこちら

 1992年4月、大学院に進学(=無給の奴隷)してしまい、医師との掛け持ちで、さらにめちゃくちゃ多忙となる。同年7月、榛名山から岩手県二戸郡(JH7XRZ/7)との交信で6mWAGA(全郡交信)達成。念願の6mでの全国市郡の交信達成で、一気に虚脱状態。

 太陽活動の低下もあり、自宅アパートで1200MHzでTCP/IPのパケット通信(PRUGの寺子屋)に熱中する。大学の研究室から、1200MHzのTCP/IPで接続したアパートの部屋にある98NOTE NVに宛てた電子メールが、27時間(笑)かけて届いたときは本当に感動した。さらに新しモノ好きの性格ゆえ、6mでRTTYSSTVにも手を出した。

 1994年4月、1200MHz F1交信記録が未申請なことに目をつけ、F1(RTTY)で交信を行い、記録認定を申請し、JARLからまんまと日本記録認定証をせしめる。なお半年後に記録を更新された。

 大学院で、工学部と通信衛星を用いた医療画像の伝送などを共同研究する。衛星地球局を扱うため第1級陸上特殊無線技士を取得。無事学位をもらい大学院も修了。

 この後、公私ともに多忙を極め、結婚もし、2ndにも恵まれ、アクティビティ低下。それでも6m一筋に、いろいろなモードで、少しづつではあるがQSOを重ねた。

 1998年4月、JN1BPM's Home Page!を開設する。

 サイクル23では、6mDXCC完成を目標としていたが、「聞いているときにはバンドが死に、聞いてないときには珍局入感」という、悪循環に見舞われる。気合は空回りし、なかなかエンティティーは増えず、閉塞状況に陥っていった。2000年7月に新田郡笠懸町(現・みどり市)に自宅を新築し、常置場所を太田市から変更。クランクアップタワー建設を目論んでいたが、その夏、自宅隣の電柱に落雷、家の電化製品が誘導雷でことごとくご臨終となってしまい、タワー建設はXからの猛反対を受け断念。6mDXは、庭に移動用アンテナを都度構築し対応するという変則運用を余儀なくされる。

 6mDXの苦渋から、精神衛生上の平安を求め、家族とのマッチングを取る意味でも「予め開く時間がわかるサテライトに興味を持つ。AO-40の打ち上げにも感化され、アマチュアサテライトへの挑戦を決意。2000年12月、まずはFM衛星に挑戦し、SO-35で交信に成功。続いてUO-14、AO-27にも挑戦。21世紀最初の交信もUO-14での交信であった。

 2001年秋、6mの悪循環を打破すべく、6mDXCCのための沖縄遠征を計画、宿の予約まで取ったその数日後、あの同時多発テロ事件発生。情勢を鑑み沖縄遠征を泣く泣く断念.続くヨーロッパのショートパスという千載一遇のチャンスも仕事で逃す・・・もはやこれまでかと思ったが、晩秋の北南米のオープンでまさかの1日で4エンティティupという幸運に遭遇した。

 2002年1月1日元日夕方、まさかの新春ショートパスUR6IMとQSO.なんとか悲願!6mで100エンティティWkdを達成。無線の女神(と勝手に決めた)は微笑みは粋だった。これで一気に虚脱状態&祝杯で泥酔。これより6mからサテライトへ主軸を移すことにした。(6mDXCCは、100エンティティのCfmはできたが、アメリカにこの宝物のQSLを送って、もし紛失したらと思うと、申請ができずにいた。)

 2001年暮、スウェーデン留学中のSM7XQZ(esJG2GSY)山崎先生と、医学部学生時代より十数年ぶりにネット上で再会。先生がご寄稿くださったスウェーデンでの運用記他を、2002年1月よりこちらで紹介することになった。

 2002年、高軌道衛星AO-40への挑戦を開始。5月、AO-40のmodeUS(430MHz↑/2.4GHz↓)で、JF6BCC/JD1と初交信を果たす。AO-40の奮闘記はこちら.7月、スウェーデン・マルメ市のSM7XQZ山崎先生と、AO-40経由で感動の再会を果たす。その奮闘記はこちら

 2003年9月23日、南米ベネズエラのYV1DIGとAO-40での交信で、Satellite WAC完成!南米と交信するのは衛星では至難の技なのです。

 2004年1月26日深夜、IZ2CPSとの交信中にAO-40の突然の機能停止に遭遇。サイクル24までサテライトに傾注しようという目論見が霧散。(この時のエンティティは50)2月にアメリカにQSLを送りチェックを受け、ARRLのSatellite VUCC (#134)を受賞。

 2004年9月12日深夜、国際宇宙ステーション(ISS)搭乗の宇宙飛行士の運用するNA1SSと437/145MHzFMで初クロスバンドQSO。

 2005年4月22日、運営していたBLOGより、無線関連の記事を分離、このブログを開始。

 2005年6月11日、2mFMでBG4XCNとQSO(2m初のDX)。6月26日深夜、国際宇宙ステーション(ISS)搭乗の宇宙飛行士の運用するRS0ISSと2mFMでQSO。12月にも深夜3時にISSのクロスバンドレピータでCQを出したら、RS0ISSから呼ばれるという幸運にも遭遇。結局ISS搭乗の宇宙飛行士とは計3度の交信を果たす。

 2005年12月、編集長を務めた「アマチュア衛星通信初心者のためのWiki」が、ライブドア社主催「第1回 ウィキ文学賞」で特賞受賞。

 AO-40機能停止後、仕事に忙殺され、低軌道衛星は高速CWの交信が主流になり、CWが苦手なため気が乗らず、さらに衛星も6mもアンテナが壊れてしまいアクティビティ一気に低下。その上、地元サッカーチーム(ザスパ)のサポーターとランニングにどっぷりハマってしまい、それらにのめり込む。いつしか無線への興味は徐々に低下し、以降、交信は毎年1~数局のみという体たらくとなる。(ログ1冊を終わらせるのに約20年かかっている)

 2007年、ハイキングのついでにTinyTrack3PlusとハンディGPSでAPRSを始めてみようとしたものの、これが悪戦苦闘の連続であった。(2010年にVX-8Dを手に入れると、あの苦労はなんだったのかと思うくらいすべてあっけなく克服された)

 2009年、JA1GZKと5GHzで初のQSOを果たす。(しかしその後5GHzは誰とも交信に至っていない。)そしてこの後毎年1~数局しか交信していない開店休業状態となる。トレーニングの一環でARDFもやろうと思い、受信機など準備をしたが、結局トライしていない。ちなみに2015年と2017年に東京マラソンに2度出場、どちらも完走し、サブ5はなんとか達成。以降は野山を走るトレイルランにまで進出する。

 2020年、新スプリアス問題を契機に中古のFT-991Mを購入。流行りのFT8等をやってみようとしたが、仕事でCOVID-19などに翻弄され、すっかり無線へのエネルギーが尽きかけてしまったころ、2022年12月、中高度軌道パケット衛星・GreenCube(IO-117)の噂を聞きつけ、サテライトに約12年ぶりに復帰。

 2023年1月、LoTWに登録。同1月17日、IO-117での初交信に成功し、眠れる無線ヲタク魂が一気に覚醒。2月にRS-44でHS3ANPと、IO-117でST2NHと交信し、LoTWでオンライン申請が可能になったWAZを申請、同3月にSatellite WAZ (#73)を受賞。2023年はどっぷりIO-117にハマる。

 2024年2月、ミシシッピ州のN5ZNLとIO-117で交信、サテライトでアメリカ全州との交信を達成。同年3月にLoTWでの申請でSatellite WAS (#508)を受賞。

 2024年3月14日、イギリス王室属領ジャージー島のGJ6WRIとIO-117で交信、サテライトで100エンティティの交信を達成。くしくもこの日は小生の誕生日であった。LoTWでの申請と紙QSLはJARLでフィールドチェックを受ければ、アメリカまでQSLを送らなくてもよいことを知り、同年4月にSatellite DXCC (#503)を受賞。あわせて完成後20年以上申請していなかった6mDXCCも晴れて申請。同年5月、6m DXCC (#2390)を受賞。

 2024年9月、IO-117の突然の機能停止。・・・目標を逸し、虚脱状態

(以降都度追記)

 2025年4月、近場のVUCCを増やすべく、FM衛星を再開する。

 2025年5月24日 実に久々に5GHzの移動運用、3局との交信に成功。
 
 2025年5月31日、国際宇宙ステーション船長、大西卓哉宇宙飛行士の運用するNA1SSとFMで直接交信を果たす。アンテナは庭の3脚につけた145/430の2エレ。過去にもISSの宇宙飛行士と交信はしていたが、日本人同士で日本語での交信というのは感激した。

 2025年6月14日、ついにFT8デビューを果たす。庭に置いたデルタループで、国内やアジア、オセアニアとも交信でき、いつも驚かされた。

 2025年9月20日、庭に置いた3脚設置デルタループで、6m FT8で3B9FRと交信に成功! ついにアフリカとも交信!


以後も迷走は続く



Awards
 6m WACA (1988)
 6m VUCC #368 (1989)
 6m WAC (1990)
 6m WAGA (1992)
 Satellite WAC (2003)
 Satellite VUCC #134 (2004)
 Satellite WAZ #75 (2023)
 Satellite WAS #508 (2024)
 Satellite DXCC #503 (2024)
 6m DXCC #2390 (2024)


 今後は Satellite & 6m VUCCのエンドースメントを目標に、今後も地道に1エンティティ、1グリッドの上積みを、新たにいろいろなモードへの挑戦を、あせらずマイペースでアマチュア無線を「ライフワーク」として楽しんでいきたいと思っています。諸兄のご指導をよろしくお願いします。

 第2級アマチュア無線技士・第1級陸上特殊無線技士・JARL前納会員 / 現職:医師


ホームページに載せていたものを転記しました。今後進捗があったら加筆していきます

by jcc1612 | 2024-10-26 11:08 | Misc